東京高等裁判所 昭和28年(ネ)1668号 判決
(一) 被控訴人の控訴人殺害企図の有無及び控訴人の嫌疑に対し被控訴人のとつた態度(原判決事実中控訴人請求原因(二)掲記の事実)。
(中略)をあわせると、控訴人は昭和十三年八月前記発病以来下諏訪町の製糸工場隣接の住宅において医師塚越信を主治医としてもつぱら療養につとめていたが、同年九月十二日朝、その前夜塚越医院から与えられた水薬を控訴人の妻とらが薬びんから吸呑器に移して控訴人に服用させたところ、控訴人は一口飲んで激烈な刺戟を覚え薬液をその他の胃内容物ととも吐瀉し、直ちに塚越医師の来診治療を受けてようやく恢復したということがあつたことは明らかである。控訴人はこの事件をもつて被控訴人が控訴人殺害の目的で前記水薬に毒物を混入した上情を知らないとらをして控訴人に服用せしめたものであると主張するのであるが、第一に控訴人が服用した右水薬は塚越医師が従前控訴人の治療のため処方に従つて投薬したものと著しく異なり、その味きわめて辛くとうてい通常服用するに耐えない程のものであつたことは前記証拠の上から明らかであるけれども、右水薬に人を死亡せしめるに足りる毒薬が混入せられたものであることは、後記のとおり右薬びんの内容物の検査ができなかつた事情もあつて、これを認めるべき直接の証拠は一つもない。また被控訴人がその効力の点はともかく控訴人殺害のために右水薬になんらか異物を混入したとの点についてもこれを認めるべき直接の証拠はない。しかしながら前記挙示の証拠をあわせてさらに当時の事情を吟味してみると、被控訴人にばく然たる嫌疑の生ずることはこれを否定し得ないところである。すなわち右水薬はその前夜被控訴人が自ら塚越医院よりもつて来たもので三回に服用すべき一日分が薬びんの中に入つていたものであること、とらは右水薬の一回分を吸呑にとり、他の二回分は薬びんにあつたこと、控訴人が一口服用してすぐ「この薬はまちがつている、辛い」といい、吐瀉して苦しんだので、とらは事の意外に驚き急を工場にいた被控訴人に告げ、塚越医師の来診を乞わしめるとともに薬にまちがいのあつたことを指摘してその薬びんを検査のため同医院に持参するよう命じ、被控訴人はこれを諾して薬びんを受取つたこと、次いで来診した塚越医師は冒頭家人から薬がちがつたのではないかといわれ、そんなはずはないと答えて右吸呑中の水薬を一滴なめて見ると猛烈な辛さであつたので、医師は病人に対して応急の措置をとり、検査のため薬びんの提出を求めたところ、それはすでに被控訴人が届けてあると家人がいうので急ぎ帰宅し、直ちに薬局生岩崎某にこれをただしたが、控訴人方から薬びんの届けられたことはないこと及び調剤は処方どおりにしてまちがいはない旨の答えを得たので、医師は再び控訴人方に引返し、薬びんは届いていない旨を告げ、その場にいた被控訴人に対し、薬はほんとうに届けたかどうかを問うたのに被控訴人は届けた旨答えたこと、そこで同医師はさきに吸呑にあつた水薬の残りを求めたところ、これはすでにあやまつて新聞紙の上にこぼしてしまい、その新聞紙も捨ててしまつたといわれたこと、この吸呑の水薬は実は被控訴人ととらの実弟牧内浦吉とが塚越医師が一旦帰宅した時に薬は同医師のまちがいかも知れぬからほかで検査してもらおうと話合つて茶わんに移して押入に入れておいたものであるが、それを被控訴人の妻ユキ子がこぼしてしまつたものであること、かくして問題の水薬はついに検査の機会を得ることなくして終つたものであるが、ここにおいて塚越医師は深く控訴人方の内情を怪しみ、今後はむしろどこか他に入院して治療することをすすめ、自分は診療をことわりたいとの意向をもらしたが、とらのたつての頼みで、今後は薬を受取りに来る者はとらかその実弟の浦吉に限るべきことを条件として引続きその治療にあたることとしたことを認定するに十分である。被控訴人は右事件の当時から右薬びんはその時たしかに医院の薬局に届けたといつていたことは右認定のとおりであり、公文書であるから真正に成立したものと認めるべき乙第五号証の一並びに原審及び当審における被控訴人本人尋問の結果中にも被控訴人のその趣旨の供述及び記載があるが、ただその届けたという時期については一旦塚越医師が来診し再度来診するまでの間であり、その目的は同医師が薬を調剤しなおすからということにあつたとしているのであるが、右時期及び目的に関する部分は前記各証拠とを対照してとうてい真実に合致したものとは認められない。そして当時被控訴人がこれを薬局に届けたとの点については前記塚越証人の証言とくいちがつているのであるが、この点に関し塚越医師のいうところは一旦帰宅して薬局生に対し控訴人方から届けられた薬びを出せと命じたところ、薬局生はけげんな面持であつたので、さらに控訴人への調剤にあやまりはなかつたかと問うたのに、同人はその質問の意味すら理解しかねて処方箋を持出す始末であつた。かさねての問いただしに対し同人は薬びんは届いていなかつたこと、調剤は処方どおりにしてまちがいはなかつたことを言明したというのである。もし仮りに薬びんが届けられ、かつ同医師の処方のあやまりもしくは薬局生の調剤のあやまり等医院側に過失があつたものとして、塚越証人が強いてこれをかくすために前記の供述をしているものとすれば、吸呑に残つた薬は当時まだ控訴人方にあつたはずであるから、同医師が再度控訴人方に行つて薬びんが届いていないことを告げるのはその段階では愚というべく、いわんや再度引返して吸呑の薬の提出を求めるのは一層不可解ということになる。この点から考えても塚越証人の前記証言を疑うべき理由は乏しい。しからば同医師に対してした薬局生の言明が真実に反するものであろうか。当時控訴人への投薬は塚越医師の処方にもとずき実際は薬局生(同人は薬剤師の資格はまだない二十才前後の青年であつた)が調剤していたものであることは本件において証拠上明らかであるが、もし仮りに薬局生にして医師の知らない所で被控訴人から薬びんを届けられ調剤のあやまりを指摘され、自己の非を自覚したものであつたとすれば、そのあやまりをヤミからヤミに葬る意味で薬びんをかくし、医師の問に対しても前記のような態度に出るということもあり得ないこととはいえない。しかし塚越医院の薬局における劇毒薬の類は鍵のかかる戸棚にしまわれ、その鍵は薬局生は自由に使用することが許されず、事件の直後塚越医師は牧内浦吉とともに同薬局内の種々なる薬剤の調合を試みたが、本件問題の水薬のような辛い味のものを作ることはできなかつたこと、当審における証人塚越及び牧内の各証言から明らかであるのみでなく、もし医院側で事実に反して薬びんの所在を否定するならばこれを届けたとする被控訴人の立場として、当然強くこれを追及するであろうし、そうなつた場合薬局生としてよくその立場を維持し得るか疑問であつて、事実被控訴人は医院側が届いていないというのに対してなんらの抗議も追及もしていないのであるから、これらの点から考えて前記薬局生の言明が事実に反するものと解すべき根拠は薄弱であるといわなければならない。従つて薬びんを医院に届けたとの点については前記被控訴人の供述及び供述記載はたやすく信用できず、この点に関し被控訴人がその届けたという時期及び目的について前記のようにいうのは単なる記憶ちがいという以上に、薬びんの所在不明の事実を強いて重大にとることをさけるための作為とすら推認せられないでもない)、原審及び当審証人小口守一の証言によつてもこれを認めるに足りず、その他にこれを認めるべきなんらの証拠もない。これを要するに右問題の水薬は被控訴人が医院に届けたというに拘らず現実には届いておらず、これを届けたということはきわめて疑わしいと結論せざるを得ないのである。
以上の事実によつて考えれば当時の被控訴人の行動は、人をして、被控訴人が控訴人に危害を加えるため水薬の中になんらか異物を混入したのではないかということを疑わしめるものがあつたといわなければならない。当時控訴人の後妻である宮坂とらは今日のように控訴人から財産を分与せられていたものではないから、控訴人に異変があれば直ちにその立場も弱いものとなるのであつて、同人があえて非違を行うということは考えられず、その他被控訴人に前記のような事情があるに拘らず被控訴人を疑うことのあやまりであることを納得させるような特段の事情は本件には認め得ないのである。
次に(中略)当時被控訴人をめぐる這般の微妙な事情は、その時病床にあつた控訴人には深く意識されることなく、その周囲もこれを控訴人に秘したため、何事もなく年余を経たが、昭和十四年十二月頃にいたつて、たまたま控訴人方に来訪した町内の知人の口から、右水薬事件については被控訴人に疑惑があるというような口吻をきき、控訴人は事の意外に驚き、妻とら等に当時の事情をききかつ塚越医師に真偽をたしかめて、上記の諸事実の詳細を知り、ここにはじめて控訴人自ら被控訴人に対し深い嫌疑をかけるにいたり、昭和十五年一月頃には後記の紛争を通じて、控訴人が右の嫌疑をいだいていることは被控訴人にも知れるにいたつた次第であるが、これに対し被控訴人は事件直後はもとより、控訴人が嫌疑をいだいていることを知つた後も、控訴人に対しなんら釈明するところがなく、その他その嫌疑の解消に努力し控訴人の心神を安んぜしめるの方法に出たことのないことが明らかである。
すすんで前記(一)の事情について検討する。思うに養親子関係は法律上実親子関係と同一視されるものとはいえ、所詮それは人為の設定であつて自然のもたらした血縁ではない。自然の血縁にあつては時の経過によつてたやすく解消するような事態も、養親子関係にあつては永く結んで解けないかつとうとして残ることを保し難い。この故に養親子の関係にあつてよく両者の理解と円満を望むならば、双方とも特に意を用いて互譲と礼節を尽すのでなければ、とうていこれを得ないことは明らかである。本件において控訴人が被控訴人に対していだいた疑惑の情はきわめて重大事に関するものである。その疑惑の対象たるべき事実の存することの認め難いことは前記のとおりである。故にその事実がなく、ひつきよういわれなき嫌疑であるならば、被控訴人としては進んで誠意を披歴して身の潔白を証し、父に対して二心なき所以を釈明すべきが当然である。しかるに被控訴人はついにこれを敢えてしなかつた。控訴人が疑惑をいだくことを被控訴人において知つた当時は、すでに前記のような財産関係をめぐる紛争がはじまつていたことは明らかであるが、それとこれとは全く別個の性質のものであり、右のような事情があるからといつて被控訴人の態度を是認し得るものではない。本件におけるが如き疑惑は、それが存するだけで控訴人としては心魂をゆすぶられる思いであろうことは推察に難くない。いわんやかかる場合に当の相手方がいたずらに沈黙してなんら釈明するところなく、これを黙殺せんとするような態度を示すにおいては、そのこうむる精神上の苦悩は倍加するものというべきである。このような状態で推移することは養親たる控訴人のよく耐え得るところではないと考えられる。この意味において被控訴人の右所為は結局控訴人に対する重大な侮辱と断ぜざるを得ない。
四、控訴人はさらに、控訴人と被控訴人とは当初の衝突以来ここに十有余年を経、本件訴訟以外においても互いに訴訟上抗争を継続し来たり、今日においては両者の融和はとうてい期待し得ない状態であつて、これは民法第八一四条第一項第三号にいわゆる縁組を継続し難い重大な事由があるものというべきであると主張する。当審における証人宮坂とら、同畑禎一の各証言、控訴人及び被控訴人各本人尋問の結果、記録にあらわれた本訴係属以来の経過、並びに本件口頭弁論の全趣旨をあわせ考えると、控訴人と被控訴人とは昭和十五年初頭先ず製糸工場経営のことから争をはじめ、次第に他の争を誘発して本件離縁訴訟に及び、十余年の年月を経たが、その間原裁判所においてしばしばかつ長期にわたり和解もしくは調停を試みたが、互いに自己の立場を固執し財産上の執着をはなれずして妥結にいたらず、控訴人は被控訴人に対する前記拭い難き疑惑にもとずきこれを嫌悪すること仇敵の如く、自己の不動産を妻とらその他の名義に書換え、一方被控訴人もまた妻ユキ子の死後蒲団持ち出しの如き事態をひき起して控訴人を刺戟することを止めず、もはや今日においては両者が親たり子たる関係において融和し、養親子関係を継続させることは望み難いものにいたつているものというべく、この関係はいずれか一方殊に控訴人においてその態度をあらためれば、たやすく解消し得るというようなものではないと認めるべきものであり、これがもつぱら控訴人の自ら招いたものともいい難いことはおのずから明らかである。被控訴人は控訴人の本心はむしろ被控訴人との和解をのぞんでいると主張するけれども、この点に関する当審証人松下義太郎の証言及び被控訴人本人尋問の結果は当審における控訴人本人尋問の結果と対比して容易に信用することができず、その他にこれを認めるに足りる的確な証拠はない。右認定のような今日の状態は結局民法第八一四条第一項第三号にいわゆる縁組を継続し難い重大な事由があるものと解すべきである。